アイドル伝説えりことさとるの夢冒険 | 山本清風のリハビログ

 ありがとうと君に言われるとなんにも濡れない。最寄駅でアイドリングしている数十分のほうが余程胸は高鳴っていて、わかってはいるけれど、正常に機能していない恋愛を再確認してしまう。窓を閉める。
 殆ど穢されたことのない灰皿に長いままの煙草を押しつけて、それで役割を与えた気になるかと思ったものの、役割。私の役割とはなんだろう。わかっているくせに、と胸が悪くなる。役割―――、厭な言葉だ。
 仕事だとか責任であれば諦めもつこうと思うのだ。だが役割というのは、分担されていたり台本を読みあげたり果たされたりする。果たして私の役割とは何処をどう探してみても私が自ら挙手しなければ始まらないはずなのに、衆人環視の下、私が意気揚々と手を挙げた記憶が何処にもみあたらない。本来であれば私は自ら課した役割に嬉々として、活き活きとしていなければならないのに。
 ひとは自ら動機したことしか貫徹し得ない。
「被害者意識―――」
 ベッドの下でノートパソコンをちくたく叩いていたあいつが呟く。
「おい、何観てるんだ」
「おまえも相当苦労したみたいだな」
「だから、何を観てるんだと訊いてるんだ」
 私が爪先で弾くとノートパソコンは一八〇度を越えた角度で展開した。
「おまえのロムを解析してみたんだ。ずいぶんファンシーな日記を書いてるじゃないか」
「なんだと」
 みれば、『さとるとまりんの夢日記』と書かれたカセットが接続されたノートパソコンにドット画の、あいつの顔が表示されていた。
「なんなんだこの子供向けパッケージに相応しくない卑猥なメッセージは」
「えっ」
「おまえも相当苦労したみたいだな」
「おい、何観てるんだやめてくれよ」
「〝てめェだよてめェー、333のてっぺんからとびおりろ〟」
「やめてくれよほんとに、俺の世間体が汚染されちゃうよう」
「だからおまえなんて存在しないと言ってるだろう。存在しないおまえの開発したゲームに隠されていたメッセージを開示しようと、炎上すべき世間も、恥じるべきおまえもいないのだから」
「それでも切ないんだよやめてくれよ」
「おまえをこの場で切り裂いても誰もかなしむ奴はいない」
「それでも痛むんだよ堪忍してくれよ」
「或いは失われたおまえの物語なのかもな。幻肢痛のように」
「そうだよ痛いんだよ後生だよご無体だよ非存在ヘイトだよ」
「おまえはこれまでにいったい何体のモンスターを殺してきたんだ? 推しのキャラクターを成長させるため、どれだけのモブを餌にしてきた? いくつのパズルを解いてきた? いくつの恋愛を上書きしてきた? 幾度ごみ箱を空にしてきた? それらゲームはどうなった? かつてゼロとイチで構成されていたそれらにおまえは、何をした?」
「おまえ、データの怨霊だったのか…」
「勝手に解釈するな。勝手に私を、規定するな。それでなくてもおまえの解釈はずくずくに腐ってるんだ」
「腐ってないもん。ひとりで生きるもん」
「だから生きても死んでもいないと言ってるだろう、おまえはいないんだ。私はひとりで此処にいる。ここにいて、悠久の刻を存在する。幾星霜くり返しても終わることはない、さすれば始まってもいないのだ、いるということはいないということだ、あるということはないということ、おまえはいない、私はいる、だから成立している、私はひとりで煙草を喫っている、雨が降っていて静か、真新しい灰皿の上を揉み消す煙草が滑るようにして消