『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に始まり『CROSS†CHANNEL』で終わったエロゲ③ | 山本清風のリハビログ

「ところで、文学フリマにご意見ご要望はありますか?」
 時に文学フリマ打上会場片隅、荷物置場となっているテーブルのひとつで私たち、顔つきあわせて煙交渉と決めこんでいるのであり、紫煙くゆらせながら文学ともエロゲーとも知れぬ話に徒花儚く咲かせているわけであるが、いつしかテーブルには彼と私、ふたりだけが残されて。
 眼前で文学フリマについて問うのは猿川西瓜か秋山真琴、だと思うのだが如何せん、煙が深く、判然としない。
 思いだせない。或いは栗山真太朗か牟礼鯨であったかも知れない。が、ここでは仮に田西源五郎とでもしておこうと思う。田西源五郎が私に文学フリマについて問うている。と、思う。
「そうだな、もう少し繁忙期を避けて開催してくれたほうがありがたかったかな」
 これは今回、一般参加に限りなく近く委託販売かつ打上にだけ参加している私の意見だというのは一応強調しておきたい。いつもならば文学ジャンルにブースを出展、文金高島田かウエディングドレスといういでたちで参加するところ、病院から抜けだしたままきてしまったため寝間着姿というところに今回の、自分の参加姿勢が表出していると思う。
「11月の祝日に、ということで以前は文化の日に開催されたこともあった。それがまあ暦の都合ではあるが、18日、23日、と後ろに倒れてきているのが地味に効いているんだ。11月も中旬を過ぎれば仕事は完全に年末進行になり、もう少し端境期の開催であれば、特に社会人は出展も来場もしやすくなると思う」
「なるほど。ワトソンに記録させます」
「繁忙期の開催というとコミケが想起されるが、あの年末開催というのは、〝踏み絵〟だと思う」
「試されているわけですか、僕達は」
「そう。年末をコミケに捧ぐというのは相当の覚悟が求められるし、そこで参加者がした決断というのはこれ、大きな意味を持つ。大いに売らねばならないし、買わねばならないだろうと思う、枝葉にまで強度がゆき渡るがしかし、暴力的なる日程だ。その覚悟を〝文学〟の一語に集結した人々へと問うのは少々、酷という気もする」
 文学フリマ大阪は文学に興味がなくとも、周辺住民がぶらり立ち寄れるようなイベントを目指したと以前、上住大阪代表から聴いた。そのため端境期にホームタウンで開催されるのだと。一方文学フリマ東京は前述したコミケ式の踏み絵を踏襲しており、それは望むと望まざると、東京周辺で一定のキャパを内包する施設が限られているからで、現在の会場である東京流通センターの立地とは浮動層を誘引できるほどに交通の便がよいわけではなく、これは致し方ないところでもある。このまま出展数が増加すれば次は幕張メッセか東京国際展示場、と以前望月代表が言っていたが、そのようなわけで立地の不便を叫ぶのならば出展者もまた、協力せねばならない。
 とまれ現状の地の利で本を売るなら、競馬クラスタ或いは旅行クラスタに訴求するということになるのだが、すわプラットフォームでぷらっと駅弁スタイルに競馬旅行文学小説でも頒布したろか知らん。
「間をとって寺山修司本を出すのはどうでしょう」
「それに日程については百都市構想も関係しているから一様にはいかない。文学フリマというナンバリングで同じ月に地方開催が重複するのはできるだけ避けたいところだと思うし、特に東京は中央の開催でもあるし、動員数を共喰いさせるわけにはいかないのじゃないだろうか。まあ重複も華々しく謳えば盛りあがるとは思うけれども如何せんスタッフ、出展者、来場者いずれの疲弊も強いることになる。私も地方出身者だし百都市構想は応援しているけれども、自ら首を絞めている側面が大いにあると思う」
「それは言われるまでもなく、身を以て体感しているところです」
「地方開催が増えれば文学フリマとしての総動員数は無論増えるが、東京開催しかなかった時代には地方から出張っていたサークルが、地方開催のみに留めるなんてところもあると思う。それは来場者も然りであって、今後文学フリマはそれぞれの地域性が色濃くなってゆくんだと思う。一般書店で言れば沖縄は地元ガイドがよく売れる、みたいな」
「清風さんの開催する〝文学フリマ歌舞伎町〟を心から楽しみにしています。それで今回の文学フリマの印象は如何でしたか? まあ午後にぶらり現れてメシだけ喰っていくあなたに訊くのもどうかとは思いますが」
「午後にぶらり現れてメシだけ喰っていく私が感じた印象をひとことで言うと、これは語弊をおそれずに言えば〝疲弊〟という一語に尽くすと思う。理由は前述した百都市構想によるところが多く、こう、ぐるり見回してみても打上に参加しているのが老舗がばかりということもあるとは思うが」
 かつては公式の打上というものはなく個々に打上しており、特筆、雲上回廊の秋山真琴が開催する打上は創作クラスタにとり最大手だったと思われる。やがて公式の打上が催されることになり、二度は外の居酒屋で寿司詰めになり飲んだものだが、以降は東京流通センター付属の会場で行われるようになり、現在に至る。それがなんだというわけではなく、これはただの昔話である。
 ついでに昔話をすれば、私もかつて責任編集を務めた『文学フリマガイドブック』はかつて非公式を謳っており、乱雑に言えば、当初創作小説に対しミシュラン的な格付を行うことについては相当の議論があったと聴いている。つまり非公式ガイドというのは大いなる炎上マーケティングであったわけで、これは大いに売れたし影響力があった、これは現在売れていないという意味ではなく、良くも悪くもかつてのような話題性はない、という意味だと読解してほしい。
 かつての火力がないというのは何も、創作クラスタの意識が低下したわけではなく、ひとつには公式化した、というのが大きいだろう。同じ地平にいる山本清風が良いだの悪いだの言っているわけではないのだ。入場時配られるパンフレットと一緒である。掲載されると聴けばラッキー、というくらいのものだろう。もうひとつには、割と長い時間をかけてガイドは本来のガイドとして役割を認知されたのだと、私は思いたい。長かったね。おめでとう。
 とまれ自分が産休に入ると同時にガイドは公式化したため、私はいまでも非公式の人間だという意識がある。そのため未だガイドに対する残存思念はあって、かつても議論したがガイドもまた百都市構想よろしく需要の数だけ種類が必要なのだろうと思う。歴史、批評、創作に於いても純文学、ミステリ、サイエンスフィクションなどなど、では誰がやるのか、と問われたところで挙手し、非公式を立ち上げた佐藤の中の佐藤こと佐藤は、だから偉かった。これは一見呼び捨てのようにみえるけれども佐藤はサークル名なのであり概念なのであって、敬称をつけることには異論がある。アイドル様やジャイアンさんがそうである。
「あとは若いサークルが増えたなあと思った、新陳代謝しているんだね。少し驚いたのは、夕方になるとイベントの終了を待たず撤収しているサークルが多かったこと。自分は駆け込みのお客さんもいるし、公式の打上にも参加するから最後の最後まで粘ったものだけど、遠方の子もあれば個々に打上する子もあり、ということでなんというか新入社員めいた印象があった。定時になったらさくっと帰る合理性というか」
「残業代がつかなかったり上司に内ゲバの呑み会に誘われたりしていいことないですもんね。清風さんは来年定年だからセクシャルかつパワフルにハラスメントする立場ですね」
「文壇の不良債権と呼ばれた文学、そのイベントが間口を広く構えるべく、文学を定義しなかった。これは思いやりとも弱腰とも映るもので、好いとも悪いとも言い難い。『あなたが文学だと思うものを販売して下さい』そのひと言によって自分は文学フリマに参加したし、結句文学という共同幻想は現在多くの人を養うことのできるジャンルではないとの確認と同時に、出版不況も相俟って、やはり同じ夢を観ることはできない、という現実が結実されてきた時、人は文学フリマを離れてゆくのかも知れない。定義しないままの文学というものと、一応は文学賞の最高峰と呼ばれることもある芥川賞がなんや男前の顔をして、文学という曖昧な概念をひとりのお笑い芸人に結実させた時、マーケットは爆発的に動いた。あの一撃はやはり出版業界を延命させたのだし、と同時に、文学という曖昧模糊としたものをやはり生ける屍であって、死体であるのだと証明した。自ら証明してみせたんだ。ああ、やっぱり死んでたんだ、こんなに腐乱して、って。ぎりぎり権威だけ維持して形骸化したその骨身を曝して、ほらほらこれがあいつの骨だ、なんて高々に掲げた。この手法はあと何回かは成功するかも知れない。良い意味での温度差、僅かに炎上を含むが言及した方が損をするようなとりあわせ、ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞した時のような話題性を以て選出される、アイドルや政治家やニートの書いた(或いは書いたとされる)文学小説」
「長過ぎるんですよ清風さん、しかも不毛だし」
「頭皮にいいとされる海外の高級なシャンプーとトリートメントを使用しているんだ」
「やっと質問に答えてくれましたね。先程清風さんは〝疲弊〟とおっしゃいましたが、疲弊しているのは、あなたでは?」
「しおしおに疲弊しているよ。毛髪ももう、二・三本しかない。おばけでもないのに。しかし私は書くし、文学フリマに参加し続けると思う。それだけは変わらないし、それだけしか私に明言できることはない、それだけが唯一確実に私のできることだから」
「長時間ありがとうございました」
 向こうの席ではわいわいわい、アッピールタイムが始まっている。わい。希望者が短い持ち時間のなか宣伝をするというもので、午後にぶらり現れてメシだけ喰っていく私にはチャンスではあるものの、挙手することをしなかった。そのような恥ずべき振舞を臆面なくやってのけるというのは仕事だけで充分であり、或いは逆であるべきなのかも知れないが、私は文学フリマではそれをしたくはなかったのだ。
 望月代表の声がぴんと響き渡り、此度の文学フリマ東京も、文学フリマ東京の打上も終了してゆく。午後にぶらり現れてメシだけ喰っていった私が臆面もなく文学フリマについて書くべきではないのはわかっているけれども、それでも私は書きたかった。


 それでも私は、書きたかった。