そこで一句。 | 山本清風のリハビログ

 爪の先に灯る火があり、寝台があって、水差しとグラスがしつえられてあり、風はなく、橋梁があって、川の流れは堰き止められている。大量のタイ料理が廃棄されている。
「私に、非はない」
 パクチーばかりではない。

 レモングラスも、ナンプラーもがない交ぜになりハーモニーとなってあり。大量に遺棄されたタイ料理。寝台があり、風はなく、爪の先に灯る火だけがあって河川敷。
「なれば私は、何故このような場所で朽ちてゆかねばならぬのか」
 私を産み落とした母親にその責任はあるだろうか? 私のような存在を生み出したこの社会に責任はあるだろうか? 全部貧乏が悪いのか? 花は? 鳥は鳴いていたか? 不条理とは? とすれば条理は何処にあるだろう? 一度でも誰かその眼に映じてみたことがあったろうか?

 蝟集したタイ米の上をふかふかと歩きゆく。

 私には足がある。
 かつてはこの川にも葦があった。
〝あし〟は〝悪し〟に繋がるというから〝よし〟と呼んだ。
 真実を置き去りとし、歴史は容易く、書き換えられゆく。
 花は咲いていた。

 鳥は鳴いていた。

 私はここにはいなかった。
「私には、流すべき涙がない」
 それは流されるべき涙の与り知らぬ処である。

 私は母親の心になって、ガパォ。腹を開きふと屁を放出した。

 

 捻るべき俳句もなく、ふと、屁を捻ったのである。