五目ならべ ドクターマリオの逆襲【上】 | 山本清風のリハビログ

 頬杖つきて足投げ出すは広大なるベッド。さやかに風は吹き、或いは凪いで、風がないでもない。しかしあるともいえずに踊っている髪がある。視界の端、それは私の髪である。私は私というものでありながら私という存在さえも規定し得ない。しかし髪は踊る。しかして、何故かは好く解らない。
 視線の先に病室のドアがあり、これは固く閉ざされていてその後方に改札がみえており、時折ひとの混雑があるようだけれども法則性は散見できない。他方私の背後には河川、橋梁、そして橋の腹を見上げる恰好となって、されど川の淀みは廃棄された大量のタイ料理で、私は喰わないが廃棄されているとはいえまだ喰えるものばかり。私は喰わないが。空の加減は、青い。青空というわけでもなくそう、夜明け前の青みにも似ている。しかしここで太陽をみたことがないし、空に架かる月も同様なのだ、上空に拡がる虚空の空間、それが空であるかも疑わしくこれは、やっぱり、あれなのかな。死後、なのかな。
「そろそろ自分が狂っていることを認めたらどうだ」
 緩慢な動作で這い出してきたあいつは心外そうな顔をして、言った。
「おいそれは俺の台詞だろう? 第一、俺が精神科医でおまえが患者、というのはここでの大原則じゃないか」
「それだけでこの世界、空間を繋ぎとめておこうとするのは無理があるんじゃないのか。第一、私の精神世界に論理を丸投げしている」
「おいおい第一返しをするなよ。だったらこの荒唐無稽な空間はなんだ? 俺は狂っちゃいないし改札を使ったこともない、第一、タイ料理だって好きじゃない」
「私とてタイ料理に特筆縁があるわけではないが、おまえがタイ料理を嫌いというなら、この大量に廃棄されたタイ料理は俄然肯ける話だろう。やっぱりおまえの精神世界なんじゃないのか?」
「馬鹿を言うな。決して行為に及ぶことのない永遠の処女と幽閉された世界なんて誰が得するって言うんだ? 逃避するなら酒池肉林と相場は決まっているだろうが」
「何をした奴の堕ちる地獄なんだここは」
 揃えられたスリッパめがけて両足を降ろすと、着地点には、あいつの顔面があった。
「もっと強く、だ」
「ほらな。おまえの精神世界なんじゃないのかやっぱり? 果たせなかった初恋とは未完成だからこそ美しい。愛おしいんだ。おまえはおまえの叶わなかった初恋を内的にループしてるんだよ、永遠とするべく。精神科医という上位設定だけを追加して。初恋の少女と対話できるだけの理由を都合よく改竄して、な」
「自分で少女とか言うか普通? 信じられんな。仕方がない、俺が狂っていないという証拠を提示してやろうじゃないか、戯れにな」
「やってみろ」
 私は爪先であいつのこめかみを打ち抜いた。
「おまえ。おまえは、アンダーカバーというものを知っているか?」
「メガメガメガメガ」
「それはアンダーワールドだろ。ムスカみたいに言うなよ。そうだな、或いはW256と言えばわかるかも知れん。ちいさい頃、おまえはゲームをしていたか? ファミリーコンピュータつまり、ファミコンだよ。爆発的に普及した家庭用ゲーム機だ。さて、おまえにいま一度問おう。おまえは、ファミコンをしたことが、あるか?」
 私は、すっさあ地面に着地して、睫毛を伏せる。
「まっすぐ歩け、だ」
「はあ?」
 寝ぼけてるのか? なんてあいつが私の顔を覗きこんできたものだから私もついつい手が出る。肘鉄が正確にこめかみを打ち抜いていた。
「動く床はまっすぐ歩け。基本だろ?」
「なんだよくわかってるじゃないか。いいぞ。永久歯が折れたんだが」
「で、ファミコンがなんだというんだ? 私はこんな出鱈目な世界にあってもおまえの無駄話に一秒たりともつきあうつもりはないぞ」
「スーパーマリオというのはな、八面までしかないんだよ。ステージ八だな。でもな、カセットを挿しこんで電源を入れてからそのままぶっこ抜き、テニスを挿し、また抜いてマリオを挿すとだな、出るんだよ」
「目障りなものをさっさと仕舞え」
「ステージ九が、な」
 目障りなものをさっさと仕舞わなかったためあいつは、その部位に一条の稲妻を見舞うことになった。これは比喩ではない。青い空気の層を貫いて、稲光が突起物を避雷針したのだ。誰も見舞わぬこの病室で、ただ落雷だけがあいつを見舞ったのだった。
「はやくげんきになってね、クラス一同………」
「そもそもテニスってなんだ」
「それはこの、」
 いま再びの雷光が避雷針へと迸る。
「要はチートの話か」
「テニスというのは字義通りテニスのゲームだな。そしてチートというのはそう、なかなか正鵠を射ていると言える。ステージは八を終えると元の一に戻るよう設定されているんだが、プレイヤーがテニスの歩数を調節することによって、九以降のステージをセレクトすることができてしまう。そのステージ数が二五六あるというわけだ」
「歩数というと乱数調整みたいなものか」
「おまえなかなか話がわかるじゃないか。まあこの場合調整するのは乱数ではなくステージ数なんだが、カウントに用いられているのは多分フレーム数というやつだろう、そして選べないはずの指数が選べてしまうという意味に於いてはまさにチート、その通りだ。で、ここがこのウル技のおもしろいところなんだが、それが正規のハードとソフトとそして、ちょいとハードな行為で再現できてしまうという点なんだ」
「裏技ではなくウル技と呼ぶあたり一抹のこだわりを感じないでもないんだが、要するにバグだと言いたいのだろう? この世界だって」
 いわば俺たちは、偶然チートを再現してバグっちまったというわけだった。セレクトできないはずのステージをセレクトできてしまった、それもちょっぴりハードな方法で。きっとこれって、どうみたって高次のステージ。到達しようね最高の(魂の)ステージ。セレクトできないはずのエレクト、燃やすよ。ねえプロデューサー? もうダイレクトにいくよ? アセンションが止まらないよね? ときめくほうがいいよね? アンコールが鳴りやまないよね? ロマンティックあげるよねえ? 
「そして俺がプロデューサーでおまえがアイドルで、」
「じゃあ、おまえがテニスだな」
「えっ?」
 ふと我に返ったあいつの股間に電流が走る。
「私がスーパーマリオならおまえはテニスということだ。少なくとも、私はテニスではないからな」
「おいおいおいちょっと待て逆説の消去法の一方的なやつ。おまえこそ俺の愛おしくもありふれた日常をぶっこ抜き、テニスを挿入してまた挿して、俺の人生を操作したのはおまえの仕業だろう? 返せ!」
「ではこのどうしようもない世界はやはりおまえのロムに刻まれているわけだな」
「えっ?」
「私がテニスでおまえがマリオなのだろう? まあすべてに納得できるわけではないが、特に、テニスを挿入するだなんていうフロイトも呆れるような比喩はまじでどうしようもないんだが、それでもおまえの精神世界であるというその一点によって、すべてが解決する」
「ちっ、自分には雷鳴閃く避雷針がないからって好き放題言いやがって」
「どんなに巧妙な伏線も、如何に複雑なプロットも、誰にも話さないで下さい式どんでん返しですっ転んだ直後はびっくりしているものだが、便座にでも腰かけてよくよく考えてみればなんということはない、ただのループもので超展開なだけで本格ミステリでもなんでもなく、そりゃ当然だろ、となるのは当然の帰結なのだ。着地点から逆算して謎を張り巡らせているのだからな。すべては騙すために考案され、その横顔はちょうど、悪意に似ている。この世界はおまえの精神世界だと思えばすべての説明はつく。そこには論理を忘れてしまうほどの説得力が漲っている」
「えっ?」
「精神分析に照らされるべきはやはりおまえだったようだな。つまるところ、いまなお一定数のサブカルが唱えるマリオ幻覚説というやつだろう。ほら、マジックマッシュルームを摂取した配管工が周囲の人間すべてを敵だと思いこみ、花を喰らえば火を放ち、星を掴めば無敵になるというスーパーマリオの幻覚を夢観ている、という定説。存在しないはずのプリンセスとはおまえの妄想を正当化させる理由であり、存在しないはず弟は、おまえの似姿を映す鏡でありながら入れ子構造の妄想であって、逆説的に自らの正常を叫んでいるのだろう。おまえは隣家の塀を壊し、屋根に乗り、金品を強奪しつつ、目標を奪取する、ビーダッシュでな。フラグとは逐次遂行される目標でありながらおまえにとって大切な場所を意味しているのだろう。失われたおまえを拾い集め、破片を両手いっぱいに抱えたおまえは果たして、プリンセスを救出する。さてどうなったか? 先刻、おまえの言っていた通りだよ」
 
 ―――ステージ一に戻る。