目から怪光線、或いは吉田沙保里の物語。 | 山本清風のリハビログ

 これは私の気の所為かも知れないが昨今、いやに吉田沙保里がくきりとメイクしている雰囲気を感じるのであって、別段、殆どテレビジョンも観なければネットも制限しているのにぽこり挿入される事故的な出逢い、それがばちりメイクの吉田沙保里であるのかも知れない。
 知らない。知らないが、こんなことはないと思うしないと信じたいのだが、アスリートである彼女がしかりメイクをし、それをもしも可愛いと発言する風潮があるとして――。どうして彼女は美容室に通っていることや洋服が好きなこと、オフにはきかりメイクしていることを殊更に強調する節があるのだろうか。なんなんだろうか。
 テレビの演出なんだろうが。アスリートとしての彼女と妙齢の女性としての彼女、そのギャプおもしろいんすよ(まじ笑えんすよ)という演出なんだろうか、だとすれば死ねテレビ。もう死んでいるという声もあるから死体に蹴りを入れるニュアンスで、というよりは生ける屍に銀の弾と金の弾を撃ちこむ感覚で。ポケットモンスター いとし/こいし
 ただはきり明言するならば、動物的な危機回避能力も相俟ってそのような彼女、可愛いと言わざるを得ない雰囲気があることは否めない。だからある。強制力がある。だけど私は言わない。なんで? かわいいじゃんがんばってんじゃん化粧がんばってんじゃん努力を認めなよ? はい、認めよう。
 しかしながらそれはメダリストとしての努力であって、そんなもの私が認めなくとも世界中が認めているところの、努力である。それと比してメイクを努力という名の同じ地平に置くというのはこれ、金メダルも銀メダルもアルミホイルも光ってるよね式の暴力である。でも金メダルでも銀メダルでも六角電波の影響を斥けることはできないし、アルミホイルを持って行っても、質屋の反応はたぶんいまいちである。ポケットモンスター いくよ/くるよ
 そしてこんなことはないと思うしないと信じたいのだが、はきりメイクをしている吉田沙保里をして可愛いと発言する女性がいるとすれば、その前後の状況を慎重に精査した上でまず、「そうかなあ、おまえのほうが可愛いじゃん」を誘発する心理学であった場合の回答はこうである。
「そうだね。吉田沙保里は可愛いね。でもあなたは吉田沙保里よりも可愛くないのに金メダルでもなければ、目から光線も出ないんだね。かなしいね。ふびんだね」
 女は同性を褒めることで自らの優位を示そうとする。男は同性を褒めることによって優位にある同性に属性しようとする。女は異性を褒めることで属性化する。男は異性を褒めることによって性的に鷹揚さを示そうとする。というわけでおまえとおまえで四畳半に入って一生出てこなくてよろしい。子供できたらFBで連絡を。子供に、罪はない。