ロザリーヒルとアイドルの婚姻 | 山本清風のリハビログ
 私は私の頭が狂っている可能性を百も億も挙げることができるが、といって生きるに支障もないから放擲しており、たとえ私の頭が狂っていようともいまいともこの世は生きるに困難な場であり、従って、生きる労苦から解き放たれるためには死ぬしかあるまい。この点で私は正常な人間と寸分も差異を生じていない。

 正常に支障を生じる世界を私は矛盾だなあとは思えども、それを向こうが狂っているのだ、許さない、とも思わない。そもそも生物はいつか死ぬために生まれてくる矛盾を孕んでおり、星の明滅と同じことだと思えば少しはおまえの悩みがグローバル化の波の前で些細に映るのだろうか。更に言及すれば、私はこれまでにも多岐に渡って勝手に解釈された結果、生きる意味を問いかけられたり処女性の如何について尋ねられた経験があり、私をして偶像(アイドル)と称した男もあったが、そのいずれもが自らの命を賭して私に迷惑を一方的に吹っかけてきたのであり、おまえは、その類例として何ら独創的ではない。

「1ナノミクロンさえもな」
「あんた、死ぬのが怖くないのか」
「怖い怖くないの問題ではない。強いて言えばおまえのような取るに足らない存在によって私の生命活動が停止させられるということに忸怩たる思いがあるが、撃鉄が降りれば死ぬ、これだけが事実に相違あるまい」
「ちっ!」

 男は歯噛みして拳銃を握り直した。一般市民が拳銃の重量に慣れているはずもなく、絶え間なく私の眉間に狙いを定め続けるというのはなかなかに骨の折れることだろう、拳銃の鼻先は意図せずゆらりと無限の軌道を描いている。デンプシーロールする拳銃に縋りつきながら男は、舌打ちのつもりで膣を叫んだ。こいつも所詮、愛だ恋だレゾンデートルだと言いながら膣に埋没すれば忘れる手合だろう。詰まらないことだ。

「だが、このために巡査から拳銃を奪ってきた勢いだけは賞賛に値する。初期衝動にも似た思いきりのよさは恐らく、おまえの青春に燃やすべき情熱を忘れてきた後悔からだろう」
「うるせえ! やっとみつけた青春に裏切られた気持ちがおまえにわかるか!?」

 わかるはずもないし、質問に答える格好で訊いてもない自分の情報を満載してくるあたり、こいつは根っから拳銃を突きつけねば他者とも満足に対話できないやつなんだろう、なんだろう、私の頭が狂っていようがいまいがこういう手合ばかり集まってくるというのは、少々問題である。

 とまれこいつに撃たれて脳漿ぶちまけるのは私の本意ではないから、心尽くしの賛辞を並べてみたのだが、どうしてこいつは火に油を注いだようにぶち切れているのだ。

「そりゃ俺はただのファンだ、何千何万いるファンのひとりに過ぎないかも知れねえ、だけど、アイドルってのはそういう幾千幾万もの想いを背負って輝く星なんじゃねえのかよ? 俺は言ってやりてえよ、おまえは恒星じゃないっつうの、惑星なんだよ、自分ひとりで輝いてるつもりになってんじゃねえよ」
「それは、金星か何かに語りかけているのか?」
「おまえだよ! おまえも俺も、社会の衛星に過ぎないんだよ、ぐるぐる周りを回ってるだけだっつうの、天動説は何万年も前に否定されてるんだっつうの! ギロチンなんだっつうの!!!」
「おまえの魂の叫びは歴史考証が不十分なんだがな。話が一向わからんのだが、おまえの比喩というのはつまりアイドルがなんちゃらかんちゃらなのだろう、どうして一介のオフィスレディに過ぎない私を捕まえて拳銃を突きつけて問わなきゃならんのだ」
「似てるんだよ! あの子に!」
「みせてみろ」
「え?」
「似てるかどうか確認するから、みせてみろ」

 そう言われるとあいつは一瞬の逡巡の後、ポケットから危うい手つきでスマートフォンを取り出すと片手に私の眉間を捉えたまま、短い操作を行った。それはつまり極短い手順でそいつの言うアイドルを表示できるというわけで、あいつは画面を一瞥すると何やら眉を八の字にして、確認を終えたスマートフォンを
「ん!」
 私の眼前に突きつけた。

 その間、銃口はあいつの心理を象徴するように揺れに揺れて、なんなら銃身を蹴り飛ばして即座に眼球を潰してやりたいところだったが、あいつの眼球が潰れた場合、それは視力を失うということで私の顔面とスマートフォンを並列して似ていないことを認めさせるのが困難になってしまう。どうせ似ているわけがないのだ。経験上、こいつは怠惰な人間であり、それゆえ手の届きそうなたまたま近くを通りがかった私を八つ当たりの捌け口としたに過ぎない。怠惰な人間とは、自らそのことに気づくこともできず怠惰の範疇で最大限の努力をするものだから、こういう迷惑を私にかけることになる。本当に覚悟があれば当該アイドルに銃口を向ければよいものを、それは怠惰ゆえに、成し得ないのである。

「ん!!」
「おまえ私が妹を探していて沼からひきあげられたサンダルがもしかすると妹のなんじゃないかと心配している女とでも勘違いしてるんじゃないのか? 全然似てないじゃないか」
「はっ!?」
「どこが似てるんだ? おまえの両のまなこでしっかりとみるがいい。刮目」
「はあ!?」

 あいつは私の顔面とスマートフォンを交互にみながら、意図せず銃口をじりじりと私の眉間に近づけてくる、触れんばかり。

「そいつがどうしたんだ? おまえの家族でも皆殺しにしたのか?」
「い、いや…」
「では私に銃口を向けなければならない理由とはなんだ? 刑法第39条か?」
「あ、あいつ」
「は? なんだ、言ってみろ」
「あいつ……結婚するんだ」
「アイドルか? それとも藤原紀香か?」
「俺のアイドルが、結婚するって、そう言ったんだ……」
 ち、まだ銃口を降ろさないのか。こいつとことん友達のいないタイプだな。中折れした性器を打ちつける虚しさってのが男にはありそうなものだが。

「総選挙で……俺の、買ってやった票でステージに立っているのに、あいつは……」
「何がファックなんだ? 結婚か? それとも、事実上の引退か?」
「わからない、ファックかも知れない」
「ファックって、非処女のことか?」
「そうかも知れない」
「もし宇宙の法則に欠陥があって、そのアイドルがおまえのことを選んだとして、おまえはそいつと寝ないってのか?」
「でももう、処女じゃない……」
「宇宙の法則に穴があるから、処女膜は再生してるというか過去が変わってるんだ。完全な処女だと考えていい」
「でも俺は、彼女のことを応援したかっただけで一緒にいたいとかそういう……」
「アイドルが望んでるんだ。宇宙の法則が、歪んでいるんだ」
「じゃあ、結婚してみてもいいかも知れない……」
「アイドルが性交を求めてきたらどうする」
「彼女は! そんなこと、しない!」
「なるほど、宇宙の法則が乱れているからそうかも知れないな。で、おまえの煮えたぎった性欲はどこに向かってゆくんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……俺はいま、結婚してるんだよな……?」
「そうだ。おまえが全財産を投入して応援してきたアイドルは、いま、宇宙の法則が狂っておまえの配偶者となっている」
「いつでも一緒なのか?」
「宇宙の法則が乱れてるんだから、きっとアイドル活動を続けてるんじゃないのか」
「武道館とか……?」
「武道館とか、京セラドームとかだ」
「ピンサロ……」
「なんだと?」
「ピンサロに、行く」
「よし―――」

 ついてこい。
 私は拳銃を握りこむとすっく、立ちあがった。あいつは驚いたのか何度も引鉄を引くものの、私の第一関節と第二関節の間辺りが撃鉄のストッパーとなり、銃弾を発射することができない。私がそのままずんずん進むと後ろ手に拳銃を掴まれた格好となり、あいつはずるずると追随する、そして配電施設から出るとそのまま私たちは横断歩道を渡り、四ツ谷駅から中央線に乗って高円寺までゆくとケンタッキーの傍らを通って電飾瞬く階段の前へと至った。仰げば看板に『デス☆ピサロ』とポップ体が踊り、女子大生のフォトショ加工があたかも窓から路地をのぞきこむように印刷されて、あいつは暫しそれを見上げていたが不意に男前の顔になると私に浅く会釈して、階段を悠然と昇っていったのである。



 二丁拳銃携えて。