山本清風のリハビログ -2ページ目

 ありがとうと君に言われるとなんにも濡れない。最寄駅でアイドリングしている数十分のほうが余程胸は高鳴っていて、わかってはいるけれど、正常に機能していない恋愛を再確認してしまう。窓を閉める。
 殆ど穢されたことのない灰皿に長いままの煙草を押しつけて、それで役割を与えた気になるかと思ったものの、役割。私の役割とはなんだろう。わかっているくせに、と胸が悪くなる。役割―――、厭な言葉だ。
 仕事だとか責任であれば諦めもつこうと思うのだ。だが役割というのは、分担されていたり台本を読みあげたり果たされたりする。果たして私の役割とは何処をどう探してみても私が自ら挙手しなければ始まらないはずなのに、衆人環視の下、私が意気揚々と手を挙げた記憶が何処にもみあたらない。本来であれば私は自ら課した役割に嬉々として、活き活きとしていなければならないのに。
 ひとは自ら動機したことしか貫徹し得ない。
「被害者意識―――」
 ベッドの下でノートパソコンをちくたく叩いていたあいつが呟く。
「おい、何観てるんだ」
「おまえも相当苦労したみたいだな」
「だから、何を観てるんだと訊いてるんだ」
 私が爪先で弾くとノートパソコンは一八〇度を越えた角度で展開した。
「おまえのロムを解析してみたんだ。ずいぶんファンシーな日記を書いてるじゃないか」
「なんだと」
 みれば、『さとるとまりんの夢日記』と書かれたカセットが接続されたノートパソコンにドット画の、あいつの顔が表示されていた。
「なんなんだこの子供向けパッケージに相応しくない卑猥なメッセージは」
「えっ」
「おまえも相当苦労したみたいだな」
「おい、何観てるんだやめてくれよ」
「〝てめェだよてめェー、333のてっぺんからとびおりろ〟」
「やめてくれよほんとに、俺の世間体が汚染されちゃうよう」
「だからおまえなんて存在しないと言ってるだろう。存在しないおまえの開発したゲームに隠されていたメッセージを開示しようと、炎上すべき世間も、恥じるべきおまえもいないのだから」
「それでも切ないんだよやめてくれよ」
「おまえをこの場で切り裂いても誰もかなしむ奴はいない」
「それでも痛むんだよ堪忍してくれよ」
「或いは失われたおまえの物語なのかもな。幻肢痛のように」
「そうだよ痛いんだよ後生だよご無体だよ非存在ヘイトだよ」
「おまえはこれまでにいったい何体のモンスターを殺してきたんだ? 推しのキャラクターを成長させるため、どれだけのモブを餌にしてきた? いくつのパズルを解いてきた? いくつの恋愛を上書きしてきた? 幾度ごみ箱を空にしてきた? それらゲームはどうなった? かつてゼロとイチで構成されていたそれらにおまえは、何をした?」
「おまえ、データの怨霊だったのか…」
「勝手に解釈するな。勝手に私を、規定するな。それでなくてもおまえの解釈はずくずくに腐ってるんだ」
「腐ってないもん。ひとりで生きるもん」
「だから生きても死んでもいないと言ってるだろう、おまえはいないんだ。私はひとりで此処にいる。ここにいて、悠久の刻を存在する。幾星霜くり返しても終わることはない、さすれば始まってもいないのだ、いるということはいないということだ、あるということはないということ、おまえはいない、私はいる、だから成立している、私はひとりで煙草を喫っている、雨が降っていて静か、真新しい灰皿の上を揉み消す煙草が滑るようにして消

 ―――ステージ一に戻る。
 
「だがゲームとは所詮、比喩に過ぎまい。問題は、おまえがそれをゲームに喩えたというその、理由だ」
 ありうべからざる世界を説明しようと試みる時、この三・五次元的な不条理をゲームになぞらえることは確かに、一定の理解を得ることが可能かも知れない。つまりはイメージの共有だ。事実日常と非日常の乖離、ならびにその原因という命題が提起されたことについて、我々は一定の評価をしていいだろう。疎らな拍手。
 しかし辞書の循環参照よろしく、ありうべからざる事象を説明するにあたっては、命名、比喩、逆説的な浮き彫りに終始して、結句私たちは理解したようなつもりになっているに過ぎず、仮にこの世界をハワイと名付け、夢のようであるとイメージし、少なくとも千葉や茨城、或いは埼玉ではないとしたところで、果たしてこの世界に、皮膚感覚以上の理解が深化されたであろうか。会場からはそうだの声。
 これらの成果するところはとりもなおさず「ありうべからざる事象は語り得ない」という結論であり、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」とのストックハウゼン&ウォークマンの金言を引用するまでもなく我々は、保留の態度をとらざるを得なくなる。着席していたヴィトゲンシュタインが起立して一際高い拍手を打った。
 だが、その表情とは思考停止した人間の横顔と何処が違っているだろう? 停まっているかのように、考えている、かのように。生と死が対立項であるがゆえ両端より円環を成すかのように、考えることと考えないこととは一元化してしまい、私たちの目には差異を余地させない。はてさて差異を論じてみようとしたところで私たちの誰もが件の循環を演じてしまうのである。そう、ちょうどさっきのあいつの説明のように。ひとびとが席を立ち始める。
 それでも尚、私たちは思考すべきである。夢のような幻覚のような精神世界のようなゲームのような、幾重にも折り重ねられた比喩がやがてエンボスした真理の肉感的な形状を、あたかもソナーよろしくに、特定する日まで。それがこの世界からの卒業という目的であると設計図に明記せねばならず、転覆のような手段の目的化を幾度経ても諦めず、航海し、或いは後悔しないこと、これが目的地である。
 そのためには幾つもの経由地を踏まねばならぬのは想像に難くない。ここで踵を返してみれば、論理の循環を待たずして明白な解答を持つ命題のあることを思い出すに違いない。すなわち、おまえがこの世界をゲームに喩えたその、理由だ。暗転。
「ゲームという着想そのものがおまえの乖離を物語っている。ゲームとは三人称一人称化の最も有効なトリックだと思い出すことができれば、そこには同時に、プレイヤーと開発者が存在していることに気づくまでそう時間は要さない。ソフトとハードの問題ではなく、平面ではない、縦軸と横軸との三次元、受動と能動の関係にあるそれらを結ぶ特異点なのだと、まずは問題が明瞭となる。さあ、いまこそおまえに問おう。これは誰のプレイしているゲームなんだ? プレイしているのはおまえなのか? それともプレイされているのがおまえなのか? プレイヤーと開発者とゲーム、おまえはそのいずれに該当すると思う? 昨日食べたものを思い出せるか? マカダミアナッツは酸化物質の影響を受けないというフレーズ知ってる? おまえのマイナンバーは?」
「えっ?」
「おまえを、特定する」
「そっ、それは困る」
「何故だ? おまえを証明し得ずにおまえの世界は語り得ない。おまえの座標点を特定することができない。おまえは存在しない。おまえの霊圧が、いま消えた」
「おまえの目の前にいるじゃないか。俺は既にこの世界で全裸になったり妙齢の女性の仰臥する頭上で腕組み/仁王立ちしてるんだ、世間体に響く」
「おまえの世間が何処に在る? そもそも、おまえがいない」
「おまえの論理でいけばだな、俺は俺の存在を、ネーミングしてもメタファーしてもパラドクスしても証明できないことになる、思考の迷宮に幽閉されているんだ。いまさら個人情報を開示したところでどうなる」
「おまえの解釈は腐っているんだ。新鮮な食材を目の前に腕組みして、腐らせてどうする」
「腐ってないもん」
「例えばスーパーマリオだが、あれは幻覚に紐づく現実があったはずだ。帰る場所が現実であるなら対応している現実を探すべきなんだよ。亀を隣人と解釈したなら踏まなければいい。ワンナップキノコがマジックマッシュルームだと思えば喰わなければいい。現実では罪になるんだからな。解釈と置換が正しく機能していれば、幻覚はその価値を半分失うことになる。おまえは地図を間違えているからいつまでも現実に辿り着けず、思考の迷宮に幽閉されているんだ、この腐れ外道」
「ほんとだもん、本当に新鮮なんだもん、嘘じゃないもん」
「もしもマリオが幻覚であるとすれば、そこには置換されている現実があって、その分析こそがゲームという比喩から算出される解となる。その時ゲームという暇つぶしはれっきとした思考実験となるわけだ。真に聡明な人間というものはな、どんな些末からも教訓を得て自らの血肉とすることができる、それがおまえの逃げ続けた残酷な現実というやつなんだよ。まだわからんか? ベッドと病室。河川と橋梁。大量に遺棄されたタイ料理と、遠く開閉している改札口」
「―――雪が、雪が降っているのです。果てもなく。窓外に青く仄光るそれが何故だか雪だと僕には解って、かなしくなる。知らないはずの琴線に、触れるのです。鉄路には車両がなく、或いは深夜、或いは早朝を指すのかも知れない、ただ指すべき針を持つ時計が、ここにはない。時刻がわからない。こわいような気持ちで部屋を出て、廊下を突き当たって、階段を降りてそこには、窓口の順番を待つひとが沢山います。同級生もいます。テレビで観たことのあるだけのひともいます。知らないひともいますし大変な混雑です。僕はすっかり諦めてしまって学校と、病院と、ホテルと役所によく似た建物を徘徊して、そうです。あの子が僕の畏敬する大天使様なのです。違います。僕がありきたりな関係になった少女たちが実は、野犬であったり文鳥であったり眼医者の看板であったり僕のおじいちゃんであることが電撃的に判明してそんで」
「そういえば授業って〝カルマを授かる〟と書くよな」
 私はあいつのまじなやつを遮って煙草に火を点けた。

「嘘です」
「フロイトもあれで割といいことを言っている。すべての事象が性によって説明されるというのは暴力以外の何ものでもないんだが、一方でひとはみな性から生じていることを思えば、これは当然とも言える。そこには、逃れ難い比喩が横たわっているんだ」
「この世界はセックスで満ちている」
「ほら、あながち真実の一面を捉えているだろう。いやに正確にな。この世界は現実とは異なっているという点で、時間軸に於いては以前、或いは以後に位置している、と。これは当然だよな?」
「セックス以前、或いは以後なのだ、と」
「ほら、唐突にそれっぽくなるだろう。文学や精神分析でセックスが登場する時は、さして意味もない事象にあたかも価値を付与したい時なんだよ。エッチの後にはアイがある。では、」
「エッチの前にはジイがある」
「ではアイとは何かというと、愛というよりは私、自己ということなんだ。そこで初めておまえが存在する。さあ、もうわかるだろ?」
「自慰の後で性行する。サクセスする」
「ベッドとは温床であり、彼方には可逆か不可逆かの知れぬ境界がある。入ってくる大勢があれば出てゆく大勢もある。ふり返れば橋梁が架かり、これも境界を結ぶとの意味が想起できるだろう。耳をすませば河のせせらぎ、遠く微かに車の往来、都市の雑踏が聴こえない、でもない。この世界はホワイトノイズに包まれているのだ。そして川は、栄養価の多い食物を絶え間なく、輸送し続けている」
「わかんね」
「私たちはこのベッドに束縛されていると思っている。だが果たしてそうなのだろうか? この川の上流は二股にと分かれ、その先には、やわらかな草原が拡がっているかも知れない。窪地には湖があり、ふたつの丘陵がたわんでいて、辿り着いた場所で、懐かしい顔に再会することがあるかも知れない。それは初めてなのに、とても、とても懐かしい表情をしているかも知れない」
「認めんぞ」
「認知しろ」

 頬杖つきて足投げ出すは広大なるベッド。さやかに風は吹き、或いは凪いで、風がないでもない。しかしあるともいえずに踊っている髪がある。視界の端、それは私の髪である。私は私というものでありながら私という存在さえも規定し得ない。しかし髪は踊る。しかして、何故かは好く解らない。
 視線の先に病室のドアがあり、これは固く閉ざされていてその後方に改札がみえており、時折ひとの混雑があるようだけれども法則性は散見できない。他方私の背後には河川、橋梁、そして橋の腹を見上げる恰好となって、されど川の淀みは廃棄された大量のタイ料理で、私は喰わないが廃棄されているとはいえまだ喰えるものばかり。私は喰わないが。空の加減は、青い。青空というわけでもなくそう、夜明け前の青みにも似ている。しかしここで太陽をみたことがないし、空に架かる月も同様なのだ、上空に拡がる虚空の空間、それが空であるかも疑わしくこれは、やっぱり、あれなのかな。死後、なのかな。
「そろそろ自分が狂っていることを認めたらどうだ」
 緩慢な動作で這い出してきたあいつは心外そうな顔をして、言った。
「おいそれは俺の台詞だろう? 第一、俺が精神科医でおまえが患者、というのはここでの大原則じゃないか」
「それだけでこの世界、空間を繋ぎとめておこうとするのは無理があるんじゃないのか。第一、私の精神世界に論理を丸投げしている」
「おいおい第一返しをするなよ。だったらこの荒唐無稽な空間はなんだ? 俺は狂っちゃいないし改札を使ったこともない、第一、タイ料理だって好きじゃない」
「私とてタイ料理に特筆縁があるわけではないが、おまえがタイ料理を嫌いというなら、この大量に廃棄されたタイ料理は俄然肯ける話だろう。やっぱりおまえの精神世界なんじゃないのか?」
「馬鹿を言うな。決して行為に及ぶことのない永遠の処女と幽閉された世界なんて誰が得するって言うんだ? 逃避するなら酒池肉林と相場は決まっているだろうが」
「何をした奴の堕ちる地獄なんだここは」
 揃えられたスリッパめがけて両足を降ろすと、着地点には、あいつの顔面があった。
「もっと強く、だ」
「ほらな。おまえの精神世界なんじゃないのかやっぱり? 果たせなかった初恋とは未完成だからこそ美しい。愛おしいんだ。おまえはおまえの叶わなかった初恋を内的にループしてるんだよ、永遠とするべく。精神科医という上位設定だけを追加して。初恋の少女と対話できるだけの理由を都合よく改竄して、な」
「自分で少女とか言うか普通? 信じられんな。仕方がない、俺が狂っていないという証拠を提示してやろうじゃないか、戯れにな」
「やってみろ」
 私は爪先であいつのこめかみを打ち抜いた。
「おまえ。おまえは、アンダーカバーというものを知っているか?」
「メガメガメガメガ」
「それはアンダーワールドだろ。ムスカみたいに言うなよ。そうだな、或いはW256と言えばわかるかも知れん。ちいさい頃、おまえはゲームをしていたか? ファミリーコンピュータつまり、ファミコンだよ。爆発的に普及した家庭用ゲーム機だ。さて、おまえにいま一度問おう。おまえは、ファミコンをしたことが、あるか?」
 私は、すっさあ地面に着地して、睫毛を伏せる。
「まっすぐ歩け、だ」
「はあ?」
 寝ぼけてるのか? なんてあいつが私の顔を覗きこんできたものだから私もついつい手が出る。肘鉄が正確にこめかみを打ち抜いていた。
「動く床はまっすぐ歩け。基本だろ?」
「なんだよくわかってるじゃないか。いいぞ。永久歯が折れたんだが」
「で、ファミコンがなんだというんだ? 私はこんな出鱈目な世界にあってもおまえの無駄話に一秒たりともつきあうつもりはないぞ」
「スーパーマリオというのはな、八面までしかないんだよ。ステージ八だな。でもな、カセットを挿しこんで電源を入れてからそのままぶっこ抜き、テニスを挿し、また抜いてマリオを挿すとだな、出るんだよ」
「目障りなものをさっさと仕舞え」
「ステージ九が、な」
 目障りなものをさっさと仕舞わなかったためあいつは、その部位に一条の稲妻を見舞うことになった。これは比喩ではない。青い空気の層を貫いて、稲光が突起物を避雷針したのだ。誰も見舞わぬこの病室で、ただ落雷だけがあいつを見舞ったのだった。
「はやくげんきになってね、クラス一同………」
「そもそもテニスってなんだ」
「それはこの、」
 いま再びの雷光が避雷針へと迸る。
「要はチートの話か」
「テニスというのは字義通りテニスのゲームだな。そしてチートというのはそう、なかなか正鵠を射ていると言える。ステージは八を終えると元の一に戻るよう設定されているんだが、プレイヤーがテニスの歩数を調節することによって、九以降のステージをセレクトすることができてしまう。そのステージ数が二五六あるというわけだ」
「歩数というと乱数調整みたいなものか」
「おまえなかなか話がわかるじゃないか。まあこの場合調整するのは乱数ではなくステージ数なんだが、カウントに用いられているのは多分フレーム数というやつだろう、そして選べないはずの指数が選べてしまうという意味に於いてはまさにチート、その通りだ。で、ここがこのウル技のおもしろいところなんだが、それが正規のハードとソフトとそして、ちょいとハードな行為で再現できてしまうという点なんだ」
「裏技ではなくウル技と呼ぶあたり一抹のこだわりを感じないでもないんだが、要するにバグだと言いたいのだろう? この世界だって」
 いわば俺たちは、偶然チートを再現してバグっちまったというわけだった。セレクトできないはずのステージをセレクトできてしまった、それもちょっぴりハードな方法で。きっとこれって、どうみたって高次のステージ。到達しようね最高の(魂の)ステージ。セレクトできないはずのエレクト、燃やすよ。ねえプロデューサー? もうダイレクトにいくよ? アセンションが止まらないよね? ときめくほうがいいよね? アンコールが鳴りやまないよね? ロマンティックあげるよねえ? 
「そして俺がプロデューサーでおまえがアイドルで、」
「じゃあ、おまえがテニスだな」
「えっ?」
 ふと我に返ったあいつの股間に電流が走る。
「私がスーパーマリオならおまえはテニスということだ。少なくとも、私はテニスではないからな」
「おいおいおいちょっと待て逆説の消去法の一方的なやつ。おまえこそ俺の愛おしくもありふれた日常をぶっこ抜き、テニスを挿入してまた挿して、俺の人生を操作したのはおまえの仕業だろう? 返せ!」
「ではこのどうしようもない世界はやはりおまえのロムに刻まれているわけだな」
「えっ?」
「私がテニスでおまえがマリオなのだろう? まあすべてに納得できるわけではないが、特に、テニスを挿入するだなんていうフロイトも呆れるような比喩はまじでどうしようもないんだが、それでもおまえの精神世界であるというその一点によって、すべてが解決する」
「ちっ、自分には雷鳴閃く避雷針がないからって好き放題言いやがって」
「どんなに巧妙な伏線も、如何に複雑なプロットも、誰にも話さないで下さい式どんでん返しですっ転んだ直後はびっくりしているものだが、便座にでも腰かけてよくよく考えてみればなんということはない、ただのループもので超展開なだけで本格ミステリでもなんでもなく、そりゃ当然だろ、となるのは当然の帰結なのだ。着地点から逆算して謎を張り巡らせているのだからな。すべては騙すために考案され、その横顔はちょうど、悪意に似ている。この世界はおまえの精神世界だと思えばすべての説明はつく。そこには論理を忘れてしまうほどの説得力が漲っている」
「えっ?」
「精神分析に照らされるべきはやはりおまえだったようだな。つまるところ、いまなお一定数のサブカルが唱えるマリオ幻覚説というやつだろう。ほら、マジックマッシュルームを摂取した配管工が周囲の人間すべてを敵だと思いこみ、花を喰らえば火を放ち、星を掴めば無敵になるというスーパーマリオの幻覚を夢観ている、という定説。存在しないはずのプリンセスとはおまえの妄想を正当化させる理由であり、存在しないはず弟は、おまえの似姿を映す鏡でありながら入れ子構造の妄想であって、逆説的に自らの正常を叫んでいるのだろう。おまえは隣家の塀を壊し、屋根に乗り、金品を強奪しつつ、目標を奪取する、ビーダッシュでな。フラグとは逐次遂行される目標でありながらおまえにとって大切な場所を意味しているのだろう。失われたおまえを拾い集め、破片を両手いっぱいに抱えたおまえは果たして、プリンセスを救出する。さてどうなったか? 先刻、おまえの言っていた通りだよ」
 
 ―――ステージ一に戻る。

 元号何年の何ボールだか知らないが、私と対峙したり、私の背後に立ったり、或いは私の顔面の上、腕組み仁王立ちして全裸、なんていうのは言語道断であると各自遺伝子レベルに刻みこまねばならない。
 そうだ、ゾーリンゲンの恋人。或いはスプートニクの変人。エピゴーネンされる恬然自然なる関係としての家族と、その不在。永続的な家族の不在とはとりもなおさず恋人の不在であることを、論理の転回する過程に於いて各自、細胞に刻みこんでおけと言いたい。そこで残されるは、変人である。
 変の定義とは自己申告ではないと、精神医学やサブカルチャーは体現している。行動原理はシンプルであるほうが鋭利で永続可能であるのは自明の理である。であるからして生きること、食べること、寝ること、とりわけ三大欲求の行使に於いて常軌を逸していることが肝要となり、性欲のみに於いて異端であり、性癖を隠匿することによって日常生活を営む人間が一定数存在するであろうことは、想像するに難くない。性欲そのものが日常では隠匿されているからである。
 落差は、確かに存在しているだろう。しかしそれが極めて初歩的な心理作用/錯覚であるのを再確認してみる必要がある。きっかけとしては後天的に正当化される錯覚も、真実を語るに於いては心眼曇らせる一因にと尽くす。結論のみ述べるのであれば、吊橋効果により成立した恋愛の最終地点が破綻であった場合、錯覚というのは選択肢を誤るリスクファクターでしかない。きっかけも運命も占いも、後付けされた動機がポジティブなものでない限りは疎まれる運命にある。疎まれるきっかけとなるし、そのように亀甲の罅が告げている。
 責任転嫁に最適なのである。或いはセルフハンディキャッピングの一側面であるのかも知れない。あらかじめ判明しているのが売りであるのに、後日自身の判断ミスを軽減させる用途が多いというのは、実に大いなる矛盾である。となれば価値は相殺され、きっかけも運命も占いもないというのが真理ではなかろうか。人生も経理も締めてみるまでは判らないのだ。
 そんなことはどうでもよくて変人だが、論理はぐるり旋回して日常生活も満足に送れぬからこそ変人ではないかと思うのだ。即ち三大欲求、そのいずれもが常軌を逸することによってはじめて人は変と呼べるのであり、遠ざけられて然るべきであると私は思うのである。
 実践してみよう。性欲と食欲を同時に変に満たすということになると、方法は限られていて、死姦ならびにカニバリズムということになろうかと思う。レイプならびに殺人、というのは避けられないようで実は墓暴きによって解決できる問題であると解る。考えるというのは大切なことだな。
 暴力とは性欲の発露であると言われる。だがたとえ三大欲求が変であったとしても、出来得る限り日常生活を営む気持ちだけは忘れないようにしたい。死体を量産していては捕縛の危機の生ずるは必定で、第一そんなことをしていてはおちおち寝てもいられない、睡眠欲をまだ満たしていない。変人にだって眠る権利がある。犯罪行為に手を染めて秒刻みのスケジュール、これではまるでリアルが充実しているではないか、いけない。草木の如くひっそりと在らねばならない。
 食べ残した遺体は、寝具にするといいのではないだろうか。死体に包まれてはじめて安眠できる、これはなかなかどうして変である。眠れないから死体を暴く。やおらもよおしてくる、交わる。お腹が空いてくる、食べる。いいじゃないか。変だぞおまえ。その調子で夢中の出来事にしてしまえば、夢遊病として刑法第三十九条が適応される可能性すら浮上してくる。完璧だ。完璧な計画じゃないか。完璧に変だぞ、おまえ。
「……………」
 私の弁舌を黙して聴いていたおまえは正面を見据え、しきりに手許のカルテに書きこみを加えてゆきながら全裸で、睾丸を揺らしていた。私の、枕の真上でだ。風もないのに揺れているのは動揺しているのかそれとも、カルテに何か書きこんでいるからなのか。私の胸中にふと何処かで読んだ無季自由律が去来する。

 

  〝はだかで
    はをみがくと
    ちんちんがゆれます〟

 

 ふむ。あいつの口腔には経年の汚濁が封印されている。歯を、磨いているわけではあるまい。しかも陰茎は揺れていない。睾丸だけが、踊るのだ。あいつの中で毎秒量産される顕微鏡レベルの可能性が、おまえという存在の中で唯一闊達に律動し、揺れているのだ。迷いとは思考だ。揺れもぶれも要は考えているという証左なのだ。おそれることはない。揺れるとよい。ぶれるといい。思うさま利き手がぶれているといい。但し、私の視界から消えてからな。
 元号何年の何ボールかは知らない。

 

 

 

「明日の地球」
 私はふと呟くとノーベル文学賞を受賞した&蹴った。

 迎撃する気分の絡まり、窄まりやがて、拡散なる団塊の奢り高ぶり蟠りして、成れり。我は先制の徒なり。

 

 許さん。決して、許すまじ。我赦すことなかれ。ことなかれ主義に物別れした日々、是日々の泡沫なり埋め草の日々。折り重なりし日々年月成りて幾星霜を待たずして、またしてもきゅうきゅうと圧にして、球。大にして声、穏やかならず。我、許すことなかれかし。

 

 所在の責任する相対性理論の不在。或いは我と我との宇宙、超重力する可能性あり。星間の孤独をひき寄せあう定められし再会の開会。我此処に宣言す。急にして、敏。

 

 おまえだけは許さない。おまえたちと分担されることなく差し向けられた切っ先の、鼻先閃く最先端に命乞いするがいい。私はくり返す。幾星霜経たとしても、おまえをおまえたちたらしめる刻みこまれた細胞を分化し、断絶させ、思い出させてやる、おまえの孤独が分かるように。私の孤独と向きあうように。おまえを孤独が分かつように。おまえが私たらしめるように。

 

 苦しめるようだ。悲しめるらしい。至らしめるのだという。知らしめるのだときく。されば神か? 否、人に過ぎぬ。されば人か? 否、犬よろしく手を噛むのだとする。犬に仏性は在りや?

 

(くぱあ!)

 

 宇宙の底が抜け、孤独が解放されゆくつまり、引力が。混ぜ抜かれた納豆の、途切れて糸の結ばぬ豆と豆とが離れゆくように重力、解きほぐされ強まるはずの孤独、星間の孤独は手を結ばず、それもそのはず繋がれる手が先か孤独が先か、結ばれていたのは円環であって我々ではなく、されば等間隔に拮抗していたというのは我々ではなかったか。ひとりびとりが膜となり、並行となりして考えてもみてみたところこれを考えず、まるで球体ぶったものだから、こうなる。おめでとう。


 いま襟を正し、背筋を伸ばして折り目正しい言葉、使いたい。

 

 

 

 許す、マジ。

 こんな荒唐無稽な場所にいて頭が狂わないのか? と問われれば、もう狂っているとの声もあるし存外にこれが苦痛でもない。結句何処に居ようと苦痛であるのだし、却って荒唐無稽なほうが気が紛れる、ということもある。
 ――─不条理に癒されるということもあるのだ。
「現在に、これ以上下はないという信仰さえあればいい出目の設定が確認できなくとも、賽をふる。それがひとの心だ。少なくとも賽をふってみる価値はある」
「なんだ、次の瞬間私に殺される可能性のあるおまえじゃないか。さみしいのか暇なのか知らんが時間差で解答してくるなよ、ひとのモノローグに」
「それと、リセマラは性器を手でひきちぎってなかったことにすることじゃない」
「もう生まれてくるな」
「明晰さは四手先の未来をおまえに映じるだろう。だが等間隔に寄り添うことをやめた瞬間、他者を置き去りにしたとき鼠算式に乗算されたx手先の未来とは、相手の現在と、手を取り合うことをしなくなる。それでも尚、眼前の本人も追いつけぬほど先の相手と会話をし続けた時、おまえは狂っているのだ」
「ああびっくりした。何かと思えば、ひとの論理の剽窃じゃないか。翻案だのオマージュだのと便利な言葉だよな、医者が患者の話を焼き直すだなんて」
「どうやら患者としての自覚はあるみたいだな」
「自分は狂っているかも知れない、と思えるうちはまだ狂っていない、という論理は、病識の前に於いてパラドックスだとは思わないか? おまえが自分は医者だと思ってみたところで現実は異なっているんだから」
「逆転移を目論み揺さぶりをかけているわけか。喰えないね」
「おまえがいままで喰ってきた患者、看護婦、医者に比べれば、というだけだろう」
「俺にはおまえの考えていることが手に取るようにわかるぞ」
「神はサイコロ遊びを、知らない」
「知らない。ってなんだよ急に、可愛いな」
「はあ?」
「言ってみろよ。神はサイコロ遊びを、何なんだよ」
「おまえはいきなり何を言っているんだ? 狂っているのか?」
「心外だな、狂ってるのはおまえだろ。さあ誰にもみせたことのない顔みせてみろ」
「なるほどおまえが狂っているのはわかった。だがな、殺す」
「よしよし抱っこしてやろう。きゃんきゃんに鳴かせてやるよ」
「神はサイコロ遊びをしないわけではない。すべての分岐を知っているのに、可能性も何もあったものではないからな。つまり神は、逆説的に確率を知らないということになる。すなわち神の前ではサイコロも遊戯たり得ない」
「x手先が、視えているとでもいうのか」
「xを放棄するのはおまえの自由だ。そして、xを証明せんとするのはひとの営みだ。だが、神の営みではない」
「おまえは傷つかない………」
「ひとを婉曲にクレイジーダイヤモンド扱いするなよ」
「いきなりダイヤモンド、いや、いきなり内臓だ」
「違うな。………いきなり内蔵なんだ」
 ベッドから手の届く距離に橋梁があり、淀みを湛える流れはいまも大量のタイ料理に埋め尽くされている。自動改札機。切符の類いは不要のようだが時間差式であるらしく、時折不意を打ち、打たれたひとがひしゃげたりして、ああはなりたくないものだ。
 私が親だったら、あんな危ない場所には通わせないのに――─。


「混乱を、愛して。」

 リセマラなぞ言ってみたところでおまえの性器がなかったことにはなるまい。
 そもそもおまえ、あらかじめ凶器を握りしめて生まれてきてしまったことを殊更悲劇のように訴えるけれども、その対となるべきあらかじめつけられていた傷痕それを、押し開く理由とはこれなるまい。どうしてそこで急遽論旨が鍵式暗号にすり替わってしまうのか、そもそも傷痕とは施錠されているものなのか、そもそもそも解錠を要すものであるのかどうか。リセマラしてもおまえはおまえでしかあるまい。
 リセットマラソンというのはいい出目が設定されているのがあらかじめ判明しているから成立しているのであって、よりよい出目を求め賽をふる、そのくり返しこそがからくりなのであるから、たとえばサイコロの目がすべて一であったならば、ひとは持久走することをしない。更に言えば、リセットしまい。
 反復が可能性をしない。ループがループでしかない。私は私を明晰だと思う。だが明晰な思考とは、狂気なのだそうである。明晰に思考してみるならば対話対応の四手先は読め、四手先の相手と対話対応している私はあたかもポリリズムしているかのよう、他者の眼からはそのように映るのだという。そのようなミニマル。
 してみれば発狂とは四手先の相手とコミュニケーションするを呼び、しかし本当に狂っているというのは、相手を置き去りにしたままで四手先の対話を継続するを呼んでみたい。相手を置いてゆくなら先に先にと手を打つことができるが、相手は本当に百手先の未来へとたどり着くことができるだろうか。等間隔での併走をやめた時、相手の実体と予測とがリンク切れを起こした時、そのとき私は、はじめて狂っている。
 ――─絶え間なく自転するモーメントへの求心。私が時速六〇キロで疾駆することとはつまり私が何処へもゆけないということと限りなく等しかった。周囲のスピードについてゆけず私は、誰よりも速く自転している――─。
 くり返すとは変わらぬことを呼ぶ。
 先を読むということは未来を制御すること。
 未来を知り得ることは、過去を変え、円環を結ぶ。
 時間を制すとはつまり、時の停まっているということなのだ。
 ――─しかし道の解らぬこの上は、ここで自転を続けるよりほか仕方があるまい、よもやバターになるまでは―――。
 それはやわらかい発狂。間違ってもおまえのそのふにゃふにゃの凶器と一緒にしてくれるなよ、そもそも鍵だなんて対を成す発想そのものが狂っているんだ。

 

 


 おまえは狂っている。

 性器を擦るのみに於いて他人に迷惑を掛ける必要がない。
 性器を擦ることに他者を介す必要はない。
「だからおまえは孤独なんだ」
「またおまえか。性器を擦りながらひとに語りかけるなよ」
「だからおまえは処女なんだ」
「処女と孤独が等価値とはなかなか情趣があるじゃないか。おまえは性器を擦って友達百人できたのか」
「俺が訊いてるんだ」
「性器を擦るのをひとに報せる必要はない。私には性器を擦り合わせる必要がない。みているとおまえは性器を擦り合わせる了解にばかり気をとられているようみえるが」
「これはな、メタファーなんだ。これはな、コミュニケーションなんだよ。これが人間なんだ」
「処女と孤独と人非人が等価とはおまえなかなか趣きがあるじゃないか。性器擦る故におまえ在り、というわけだな」
「性器を擦り合わせることによっておまえは誕生したんだ」
「私を私たらしめているのは性器の擦り合わせ。とでも言いたいのか?」
「ひとは土から離れては生きていけんのだぞ」
「ひとはいずれ土に還ってゆくかも知れんが、土から芽を出したわけではあるまい。〝それでも生きている〟私はそう言ったはずだ」
「いきそうだ」
「私はそんなこと訊いてないぞ」
「いく、ということは生きてゆく、ということだ」
「睡眠同様くり返されるちいさな死、逆説的におまえは生きているというわけか」
「もう限界だ」
「我慢するくらいなら死ねばいいだろ。死ね」
「臨界(いく)…」
「逝くと生くが同音異義というのは有休が悠久ではないくらい皮肉だよな」
「対義というのは両極の端と端とで円環を結ぶものなんだよ。貴様が敬意から敵意へと、手前やわれが自分から相手を指す言葉へと変容したように」
「医者が患者となったようにな。片づけておけよ、そこ」
「臨界(い)っちゃった…」
 床を擦るのみに於いて他人に迷惑を掛ける必要がない。
 床を擦ることに他者を介す必要はない。

 

 

 

 てめえでやれ。
 

 言語中枢を破壊したなんていうが、こう誰もいないことには私が発しているのが「うえおおおい」なのか「帝都高速度交通営団」であるのかジャッジがつかぬ。それというのも、他方には「うえおおおい」という発語で「帝都高速度交通営団」の意味を成す言語があるかも知れず、私は言語にあまり明るくないので知らないが、勝手に決めてくれという思いばかりが先にある。後にも先にもありあまるほどにあるのである。
 あんまり無い。無いものは無い。無い袖は振れぬ。なんて言葉があるけれども、さればこそええじゃないか、無い袖を振ってみせようじゃないか、不毛に毛を生やしてご覧ぜようじゃねえかなどとねじれ切っている私は、冬というに長袖も新調せずにいるのである。
 従って、袖振り合うのだといわれている他生の縁が私にはひとの半分しかない。あ、生命線が切れている。袖がそんなに大事ですか。おまえが袖ケ浦というならわかるけれども、袖ケ浦でもないくせに袖にそこまで固執するというのは全体どういうわけだ、おまえの人生は、袖に拘泥することによって著しく損なわれているんだよ。
「こんな………こんなものがあるからいけないんだっ、うおおおおおおお………!」
 闇の右手に咆哮すると私は自由を奪取するべく駆け出した。
 ―――スリーブを、ひきちぎる。

 

 最早私に他生の縁などはなく、もとより袖などない、知人などもなくサッカーボールだけが友達なのだ。それにつけても私たちゃなんなの? 袖ひとつにきりきり舞いだわ。袖も内臓も作家性も擦過させずただひたすらに自由だけを求めて、ダッシュ。奪い取れ。おもちゃじゃねえ、ミニ四駆だ、バーニングサンだ、ホライゾンだ、テキーラサンライズだ、ヴァージンスーサイズだ、スイサイダルテンデンシーズだ紅だ。
 紅なんだよ。袖をかなぐり捨てても処女は捨てなかった私の眼前におまえが現れて、小首をくりり傾げながら、問うてくる。
「〝こんなものがあるからいけないんだっ、帝都高速度交通営団………!〟ってどういう意味なんだ?」
 なんぞメトロに怨みでもあるのかおまえ? とおまえ。

 

 残念だな。おまえにはもう視えんよ、―――トトロは。

 爪の先に灯る火があり、寝台があって、水差しとグラスがしつえられてあり、風はなく、橋梁があって、川の流れは堰き止められている。大量のタイ料理が廃棄されている。
「私に、非はない」
 パクチーばかりではない。

 レモングラスも、ナンプラーもがない交ぜになりハーモニーとなってあり。大量に遺棄されたタイ料理。寝台があり、風はなく、爪の先に灯る火だけがあって河川敷。
「なれば私は、何故このような場所で朽ちてゆかねばならぬのか」
 私を産み落とした母親にその責任はあるだろうか? 私のような存在を生み出したこの社会に責任はあるだろうか? 全部貧乏が悪いのか? 花は? 鳥は鳴いていたか? 不条理とは? とすれば条理は何処にあるだろう? 一度でも誰かその眼に映じてみたことがあったろうか?

 蝟集したタイ米の上をふかふかと歩きゆく。

 私には足がある。
 かつてはこの川にも葦があった。
〝あし〟は〝悪し〟に繋がるというから〝よし〟と呼んだ。
 真実を置き去りとし、歴史は容易く、書き換えられゆく。
 花は咲いていた。

 鳥は鳴いていた。

 私はここにはいなかった。
「私には、流すべき涙がない」
 それは流されるべき涙の与り知らぬ処である。

 私は母親の心になって、ガパォ。腹を開きふと屁を放出した。

 

 捻るべき俳句もなく、ふと、屁を捻ったのである。